サン フランチェスコ修道院(聖フランチェスコ修道会 / チボリ [Conbento di San Francesco])
フランチェスコ会の言い伝えによると、アッシジの聖フランチェスコはスビアーコへ行く途中、チボリ(ティヴォリ・ティボリ)の聖マリア・マッジョーレ教会にに立ち寄ったとのことです。その年は、「サクロ・スペーコ(聖なる洞窟)」にある聖ジョルジョ礼拝堂の壁にある有名な聖フランチェスコの肖像画が描かれた年でもある、1223年だと言われています。チボリ(ティヴォリ・ティボリ)の司法官が修道士たちに、チボリのヴォターノと呼ばれていた、勝利者ヘラクレス神殿の近くの当時商品などが運ばれ通過していた古い門のところに修道院を開くことを依頼したのは、もちろんこのアッシジの聖フランチェスコの訪問があったからです。
フランチェスコ会の修道士達は彼らの文化や経験、特に病気の人に対するつつましい配慮の気持ちをここにも持ち込みました。まさにこのコンセプトが彼らの修道会の伝統の起源となっています。治療が必要な人や病気の人に対する配慮から、フランチェスコ修道会はまずローマに病人救済所を、ラ・ヴェルナに薬の配給所を、そしてヴィテルボ(ビテルボ)の聖マリア・パラダイス教会に薬草配給所を作ります。その後これらを模範として、病気の人たちにより近づくために、少しずつフランチェスコ会の他の修道院でも、小さな薬配給所や薬草配給所を設けていきます。一方、チボリ(ティヴォリ・ティボリ)の修道院は、薬草を配給するためにそしてエリクシールや植物濃縮液で人々を助けるために香辛料配給所を設けます。今日でも、その同じ場所で修道院の古い伝統を持った天然製品が販売されています。